- はじめに
「テイルズ オブ シリーズ」20周年記念タイトルとして2015年1月に発売された「テイルズ オブ ゼスティリア」は、今年で10周年を迎えます。おめでとう。ありがとう。発売前にPVを何度も繰り返し観ていた日々も、初回特典のアイロンビーズ風味のラバーストラップも、もちろん作品そのものも、とても愛おしい思い出たちとして私の中で息づいています。なんとなく今の気持ちをしたためたくなったので、つらつらと書いていこうと思います。基本好きな要素たちの思い出語りです。
筆者プレイ済みタイトルはリメD、D2、A、I、V、Gf、X、X2、Z、B、ARISE(+マイソロ3)です。Zはマップ散策の楽しさに加えて装備品融合の楽しさもあり、4周しました。めっちゃ楽しかったよね、あれ。
- 「炎上」について
一応さっと触れます。残念なことに「炎上した作品」として見られることが多い本作ですが、私としては「本来『広報・プロモーションの問題』として追及されるべき点が、作品そのものの非としてやり玉に上げられてしまった」故の騒ぎと考えています。ここで「広報・プロモーションの問題」とは、作品に対して「思っていたもの(ストーリー展開)と違った」という印象を与えかねないPR(※)や、発売直後に追加エピソードのDLC販売を告知する独特なスピード感を指します。正直なところ私も後者については「切り売りか……?」と思ってしまった。
その他作品そのものに対する批判も多々見られましたが、これは結局のところ「許容できる/できない」の主観的な議論が、騒ぎが大きくなるにつれて「作品の良し/悪し」の議論にすり替わっていっただけだと思うので、触れません。
※「思っていたものと違った」は作品批判の理由になりうるのか?という点については一旦考えないことにします。
- スレイとアリーシャのはなし
主人公スレイのはなし。スレイの夢は「人と天族が共に生きる世界」で、この夢を叶えるために彼は導師になる決意をします。聖剣を引き抜くシーン、大好きです。本作のエンディングで彼は自身の感覚を閉じて、大地を器とするマオテラスと長い眠りに就くことを決めます。遠い未来で、いつか夢を叶えるためのこの行動は一見自己犠牲的にも映りますが、白み始めたラストンベルの空の下で、無二の親友に自身の決意を語るスレイの顔はとても晴れやかです。スレイの首尾一貫したところを、とても好ましく思います。
やや脱線しますが、本作の通常戦闘BGMが徹底して「スレイのテーマ」モチーフなのも素晴らしい。本作が導師スレイの物語であることを実感できますね。
アリーシャのはなし。アリーシャの夢は「穢れのない故郷を見たい」でした。従士としてスレイの旅に同行する決意をしますが、従士契約の代償をスレイが負担していることを知り、マーリンドでの戦いを最後に離脱します。スレイとアリーシャは一緒に旅をした期間こそ短いわけですが、「天族と契約関係にあるスレイが感覚を閉じることで、スレイが接する人間の霊応力を底上げできる」という重要な示唆をスレイに与えます。何よりスレイが初めて出会った「イズチの外の」人間が、信仰に篤く誠実なアリーシャだったことが、本当に素敵だと思います。(スレイがアリーシャに授けた真名、あまりにも尊くないですか……意味を咀嚼しては動悸がします)
導師の旅を離れてからもアリーシャの戦いは続きます。「理想に燃える姫君」然とした面の強かったアリーシャが、ロゴスとの対話を経て「民のために清濁あわせ呑む政治家」としての生き方に触れるイベント、ビターはビターですが私大好きなんですよね。冒頭、スレイが橋を架けるイベントや、ルーカスの戸惑いに顕著ですが、構造上、導師ってどうしても秩序から外れた存在なので(ここで「秩序」は、自然節理や常識を指す語と思ってください。次作でアルトリウスが掲げた「理」とはまったく性質が異なります)、導師がその力で穢れを祓う一方で、秩序の元に民を導く存在は必要です。本作を通じて(もちろん葛藤は見せつつも)名実ともに皆を導く旗手となっていくアリーシャは、私の目にとても気高く美しく映りました。好きな術技は櫓独楽です。
- フィールドと散策のはなし
X、X2あたりからフィールドの広さを実感する機会は多かったのですが、Zのフィールドの壮大さといったらもう!発売初日にこの作品の世界を、自分の目で体験できたことがとても嬉しいです。イズチの村を出て、レディレイクを目指す下り坂でそのままスネークの一群と戦闘が始まったときの高揚感たるや(地形そのまま戦闘できるんだ……というアレ)。サポートタレントが充実してきた中盤に、速駆けの効果時間を切らさない様にしながら凱旋草海を駆け抜けた体験はちょっとした宝物です。同志がいると嬉しい。
こまめに入るショートチャットも素晴らしかったと思います。移動中にキャラクターがお喋りしてくれる(例「ミクリオちゃんできたよ~」)のはもちろん、戦闘中にも同じフォーマットのやり取りが見られたおかげで、散策→戦闘→散策→…の流れがしっかり地続きに感じられました。本作、散策していて集中力が切れることがほぼなかったように思います。
初めて遭遇する憑魔との戦闘で、都度新規のショートチャットが入るのも凄いことですよね。ゴブリンシューター系の憑魔に興奮するスレイが次第にお約束になっていく感じなんかは、ゲーム作品ならではの体験、という気がします。物語が終盤に向かうにつれて、努めて感情を乱さないように振る舞うようになるスレイが、この時ばかりは思い切りはしゃぐ様子がなんだか嬉しかったり。お気に入りの会話はザビーダの「術で隔離された空間だこりゃー」です。
本作はフィールド散策の充実度が自分好みだったので、いろいろと歩き倒しました。例えばアイフリードの狩り場にいた二人組の天族の様子が訪れるタイミングごとに違っているのも面白いですよね。本作は、主人公たちと同じだけの時間が、グリンウッドを生きるすべての者にも流れていることを実感できる仕掛けに溢れたフィールドだったと思います。
- そのほか、箇条書き的に。キャラクターの話がぜんぜん出来ていない、、、!
BGM
発売前PVで聴いて「なんだこの素敵な曲は…」と思った曲に地神殿で再会したときの胸の高鳴り、プライスレス。たくさんの好きな曲に出会えました。
戦闘
神依ON/OFFの楽しさ、術技名や詠唱文の切れ味(神依時の術詠唱が四字熟語で統一されていたの、シンプルながら異質さがあってカッコよかった)、初見アクアリムスの美しさに腰を抜かした思い出、などなど......。装備品の融合システムも複雑な分やれることが多くて、なんというか根底に「ユーザーへの信頼」があったのだなあと感じられました。
シナリオ・台詞回し
思い返すと全体に引き算でテンポ重視の台詞回しだった印象です。ゲーム的な説明口調よりも、実際のコミュニケーションに寄せたのではなかろうか。私が好きなやつでした。ゲーム内のあらすじ機能も嬉しかったです。
- 結びに
「テイルズ オブ ゼスティリア」発売10周年ということで、この作品のこんなところが好きだったな~という要素たちをつらつら書き起こしてみました。まだまだ語り足りないことはあるので、機会があればインターネットの片隅に残していこうと思っています。
本作発売当時の愚痴で本当に申し訳ないのですが、あの頃のインターネットは好きを好きと表明するだけでも謎にバッシングが飛んでくる様相でした(「本作を支持する者はシリーズファンではない」というような言説がまかり通っていた)。本作は「自分の『好き』という感情は大事にしなくては……」ということを強く認識するきっかけになった作品であり、ゲーム作品に限らずあらゆる創作(物)との向き合い方を考える契機となった作品でもあります。
これからも好きと思える作品に出会えるように、好きなものは好きだと表明できるように、そんな祈りをもって結びとしたいと思います。ほなまた。